僕は東大生、君たちと違いますから・・・

僕は君たちと違います
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親の勤める会社が、在京の子弟のために学生寮を作ってくれた。

1960年代、親が務める会社が玉電の三軒茶屋駅近くに、地方勤務の社員の子供のために学生寮を作ってくれた。
選挙に落ちて10年以上の長い期間、浪人している国会議員が住んでいた屋敷を買い取って寮にしたと聞かされた。

学生寮が出来ると聞いて、これから4年間過ごす場所がどんな所か下見に行った。まだ買い取ったままの状態で、何も手が加えられていなかったが、外観は立派で、敷地300坪の何様のお屋敷かと思わせるような和風の建物だ。

立派な玄関から中に入って居間であったと思われる部屋を見て驚いた。炬燵にかけられている布団はボロボロ、台所の床はところどころ腐っている。無残な極貧状態を思わせる荒廃ぶりであった。

旧家主は屋敷を売った資金で国政選挙に当選

屋敷を売った浪人代議士はその代金を選挙資金にして、その年の国政選挙で当選し代議士に返り咲いた。同時に、屋敷を売った金額に上乗せした金額で売ったばかりの屋敷の買い戻しに来たという。

「選挙に当選すると、すぐ大金が入るんだね~」と担当した社員が半ばあきれ顔で感心していた。

元店長

国会議員になった瞬間に、金持ちになれる国って・・・

僕は東大生、君たちとちがいますから・・・

大学生、予備校生 合わせて20名程の学生が寮で生活することになった。屋敷の中は全く改造なしで10畳あまりの洋室が増築され、新聞テレビが置かれ共用の談話室となった。

1年が過ぎたころ、一人の学生が入寮してきた。すぐに東大生であることが寮生に知れ渡った。それまでは東大生は一人もいなかった。東大生の男は見るからに風采の上がらない、青年らしい若々しさは寮生の誰より持ち合わせていなかった。

東大生は入寮以来誰ともコミュニケーションを取らず、談話室では片隅で新聞を読んでいる。

ある日見かねた寮生の一人が「こっちにおいでよ」と談話室の隅で新聞に目を落としている東大生に声掛けをした。談笑の輪に誘ったのである。

すると東大生は読み終わった新聞を片付けながら「僕は君たちと違いますから」と、誘いを拒否した。
声掛けをした寮生は返す言葉が出てこなかった。談笑はやみ一瞬その場は、シーンとなった。

東大生が談話室から姿を消してから

「なんだあの野郎!君たちと違うってどういう意味だ。ふざけやがって!」その場にいた全員が憤慨した。
「あんな奴が、将来偉くなるんだろうな~」と、しらけた部屋の中で誰かが嘆息交じりにつぶやいた。

元店長

学歴人種差別

日本のキャリア制度を実感した瞬間

後年、新卒で機械メーカーに就職し、雪上車販売の営業担当になってからまだ一年もたたない頃、国鉄本社(民営化されておらず、国家公務員)除雪車試作の件で聞きたいことがあるので説明に来てほしいとの依頼があった。

「お前が行ってこい」新規の商談にはあまり関心がない社風で、西も東もわからぬ新米社員の私が行くことになった。

国鉄本社の担当部署の部屋を尋ねると、広い部屋に大勢の職員がおり、さすが国鉄本社と思わせる雰囲気があった。若い年代の職員は見当たらず一流会社の役員を思わせる風格のある職員ばかりである。商談の合間の雑談で尋ねると、若い者は皆現場勤務とのことだった。

重厚な雰囲気のなかで、一人だけ20代ではないかと思われるその場に似つかわしくない人物がいた。一見、小使いさんかと思った。

話のついでに商談相手に「あの人は何ですか?」

商談相手「あれはここの課長さんで、この部屋で一番偉い人だヨ。何にもわからず、1・2年で上に上がっていく人だ」自分の上司であるはずなのに、まるで部外者扱いの云いようである。

これが日本のキャリア制度かと思った。キャリアと呼ばれる人間だけが出世のベルトコンベアに乗ることが出来る。

かって学生寮で東大生に「僕は君たちと違いますから・・・」と言われて、その場にいた者全員がしらけた事を思い出した。

はたして彼も、何処かのベルトコンベアに乗れた人生を送ったのだろうか?

元店長

知能指数の高いバカが日本を駄目にする。

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